活発な支部活動

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物流関大会
海外視察パラオ・グアム6日間

毎年恒例の物流関大会海外視察は7月27日(日)~8月1日(金)迄の6日間、総勢14名にて南洋の親日国パラオ共和国とアメリカ領グアムに出かけた。最近は紙ベースの入国申請、税関申告ではなく、多くの国でAI化が進み、アメリカはESTA申請及び税関申告を全てスマホ等にて済まして、出来ればコピー持参の上、出発する必要がある。
【1日目7月27日】
パラオには直行便がまだ就航してないので、まずはグアムに向け、各々関西空港及び成田空港9時に集合、早く来た者から順次ユナイテッド航空にチェックインしてゆく。グアムにて16時に合流(日本との時差は1時間早い)。宿泊先のプラザリゾートに向かい、ゴルフバックの預け入れを行う。しばしのロビー休憩の後、夕食会場であるニッコーホテル内「弁慶」にて結団式と夕食。以前、日本旅行に勤務経験もある小澤会計の進行で、団長である福田泰久会長から挨拶の後、春の叙勲で旭日双光章を受章した栗尾幹事長の乾杯の発声で食事を楽しんだ。食事後はグアムのドン・キホーテを見学・買物を1時間した後、再びプラザリゾートに戻りスーツケースを積み込みバスでグアム空港から深夜便でパラオに向かった。
【2日目7月28日】
パラオコロール空港到着は深夜1時(日本との時差は無し)バスにて宿泊先のロイヤルリゾートホテルへ向かい、直接各自の部屋にて就寝。起床後朝食を取り、8時45分にコロールからペリリュー島へ一日見学。パラオは南洋の島国なので島内はバス、島へ渡るのは船旅となる。美しい島々と青い海の素晴らしい景色に魅了されながらも、この地で太平洋戦争の末期に激戦があったと思いを巡らせながらの船旅である。第一次大戦後、パラオは日本の委任統治領となり多くの日本人が移り住み島の整備に尽力した。道路、橋、学校、病院など日本本国と同等に開発を進め、パラオ住人から感謝され、国旗も日本国旗と類似し、日本が太陽に対して、黄色の月に背景は海の青で、月は少し左に位置する。太平洋戦争がいよいよ敗色濃厚となり、ペリリュー島の戦争前に、日本軍は全てのパラオ島民を本島に避難させ1人の死者も出していない。現在はアメリカの属国であり、通貨もドルであるが、当時の感謝の気持ちが現在の親日に現れており、パラオ語の中にそのまま伝わる日本語も多い。何より戦時中の遺物が当時のまま残されている事に感謝の念すら感じた次第である。まず訪れたのが野戦病院化した千人洞窟であった。小さな懐中電灯を手に洞窟内に入ると、高さが無いので頭が岩にあたるので屈んで進まねばならない。既に遺骨は収集されているが、水不足かつ医薬品も無い中、至る所にビール瓶、食器、銃、弾薬がそのまま放置されている。海から何倍もの兵力で攻めてくる米兵を迎え撃つトーチカも見学し、当時の司令長官中川大佐は「決して自決してはならぬ。死ぬ時は米兵を1人殺せ」と命令を出すなど、当時のアメリカ軍は4日で攻略する予定が実に2か月半も要したほど、日本軍は徹底ゲリラ戦で抗戦した。米軍の慰霊碑には「諸国から訪れる旅人たちよ、この島を守る為に、日本軍人がいかに勇敢な愛国心を持って、戦い玉砕したかを伝えられよ」と記しているほどである。1万人を超える戦死者を出したこの地に眠る慰霊碑を訪れ全員線香を手向け、首を垂れた。指令本部跡、戦跡の戦車、ゼロ戦も見学、昼は弁当と水を頂いたがこの美味しい弁当を当時は食べる事も叶わなかったと思うと万感胸に迫る思いであった。
【3日目7月29日】
昨日とは打って変わり、マリンスポーツのメッカとしてのパラオを楽しむ船旅である。ホテル出発時より水着姿で出発。シュノーケリングを楽しむ。ライフガードと水中眼鏡、シュノーケル、足フィンを付け、全員美しい海に飛び込んだ。眼下には熱帯魚とまるで花が咲いているようなサンゴ礁で誠に美しい眺めである。しかしながらメンバーは高齢者が多く、体力的には少しきつい。もう少し若い時に来たかった。その後船に上がり、真っ青な海原を進んでゆくと海がエメラルドグリーンに変化するミルキーウエイである。少し奥に入ると複数の船が既に到着している。ガイドのラッシュガードに身を包んだ若い2人の女性が海に潜り、海底に沈殿した泥を両腕で上手にすくい上げ、バケツに入れてゆく。この泥は石灰化したサンゴ礁や石灰岩であり天然ミネラル・保湿成分・美白成分を含んでいる。市販の化粧品にも使われているとの事。この灰色掛かった白い泥を全身と顔に塗りたくり、誠に滑稽な姿に変身した。その後、船は200からなる島の殆どが無人島であるが、戦時中の砲弾跡など見学、浅瀬になって砂浜が地上に現れた場所を歩く体験もした。アントニオ猪木が練習に訪れて有名な無人島イノキアイランドで昼食・休憩をした。ホテルに帰り、夕食はエリライシーサラダダイニングでマングローブ蟹を頂いた。ここから見る赤い夕景は誠に見事であった。
【4日目7月30日】
深夜便にてパラオを発ちグアムへ向かう。ホテルはグアムプラザリゾート。朝食を取りしばし各部屋にて仮眠。午後からはグアムから参加された芋縄副会長も合流され「カントリークラブオブ・ザ・パシフィック」でのゴルフを11名参加で行なった。事前に各人が自己申告のスコアを目指すオネストジョン形式で名門クラブを楽しんだ。夕食はホテルより徒歩にてBBQレストランへ移動、芋縄副会長の乾杯挨拶の後、表彰式に移り、川上秀之氏が優勝。優勝の言葉を述べ、和気藹々の雰囲気の中各テーブルで話が盛り上がった。
【5日目7月31日】
海を越えてワンオンを目指す長いショートコースのあるマンギラオゴルフコースで2度目のゴルフプレイ。昨日とメンバー組み替えを行い11名の参加。南洋で気温が高いものと想像していたが、日本の気温が40度近い異常な猛暑である事に比べると、それより10度程低く、猛烈な暑さは感じる事無く、快適にプレーが進行できた。太平洋をすぐ近くに感じる素晴らしいゴルフ場を堪能できた。終了後ホテルに戻りしばし休憩の後、パラオに1日多く滞在していた谷副会長、小澤氏、網本氏も合流し夕食は歩いて近くのウエスティンホテル内の日本料理店「一心」にて行う。2日目ゴルフの優勝者は同じくオネストジョンにて福田会長であった。
【6日目8月1日】
早朝4時45分にホテルロビー集合にて関空組は出発。関空には10時10分に到着、解団式を行う。福田会長から「親日国パラオで戦争の悲惨さを改めて感じる事が出来た良い旅行になった。来年も皆で楽しい旅行がしたい」と挨拶の後、各々家路に向かった。東京から来られていた和智氏も15時30分に成田到着。全員数多くの写真、お土産と共に物流関大会海外研修旅行は今回も大成功であった。 (文責 幹事長 栗尾尚孝)

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