活発な支部活動

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富田林支部
鍋島氏講師に「太子町を巡るⅡ」を実施
家族ら16人参加し第15回歴史散歩の会

富田林支部(杉本孝支部長)歴史散歩の会では、11月25日に歴史散歩の会を実施し、校友家族も含めて16人が参加した。
今回は、初回の「太子町を巡るⅠ」の残り部分を歩いた。講師は、今回も鍋島隆宏氏(H5文・太子町学芸員)に依頼。自作の貴重な資料により、古墳や神社仏閣の形体・特色・時代背景等について分かりやすく丁寧に解説していただいた。
集合場所の上ノ太子駅を出発後、遠方の御陵山古墳の説明を受けた後、壺井八幡宮・壺井神社に到着した。壺井八幡宮は河内源氏発祥の地であり、以後、将軍職に就くのは河内源氏のみとされ、将軍の代替わりがあればここに報告に来るという話であった。境内には樹齢800年の見事な楠木が聳え立つ。
次に通法寺跡であるが、通法寺は1043年に河内源氏の源頼義(源氏三代の二代目)によって創建されたと伝えられている。しかし、1873年明治政府の廃仏毀釈により廃寺となり、現在は頼義の墓と鐘楼及び建物の基礎等が残っている。
源氏三代の墓のうち、初代の頼信と三代目の義家が通法寺跡の南側の丘陵に葬られている。頼信の墓の脇には、「生類憐みの令」を献策した大僧正隆光の分骨所としての墓碑があり、義家の墓の脇には通法寺の歴代住職の墓がある。
源頼朝に至る系図は次のとおりである。頼信→頼義→義家→義親→為義→義朝→頼朝。
食事では、参加者同士が和気あいあいと話し、楽しそうに食事をしているのが印象に残った。
敏達天皇陵(太子西山古墳)は、全長93mの前方後円墳で、敏達天皇は572年に即位したが、仏教導入時期の混乱した時代であった。
仏眼寺跡では、寺は花山天皇が仏眼上人のために建てたと伝えられており、江戸時代には葉室村の西国巡礼の拠点として栄えたとのこと。西国三十三度満願供養塔がある。
最後に石川五右衛門の腰掛石の説明を受けた。地元では、安土桃山時代の大盗賊石川五右衛門が、この石に腰を掛け休憩したと伝えられている。参加者の中には、五右衛門になった気分でキセルを燻らすポーズをとる人もいた。
当日は天候にも恵まれ、有意義な一日が過ごすことができ、次回と総会への参加を約束して散会した。皆さんも一度、歴史豊かな太子町を散策されてはいかがですか。
(幹事長 秦純一)
(秦純一=0721-93-3085)

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