活発な支部活動

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富田林支部
第19回歴史散歩の会 JR柳本~長柄駅を歩く

富田林支部(森岡愼治支部長)歴史散歩の会では、11月24日歴史散歩の会を実施し、校友家族も含めて17人が参加した。今回はJR柳本~JR長柄駅を歩いた。
講師は、今回も鍋島隆宏氏(H5文・太子町学芸員)に依頼。自作の貴重な資料により、様々な遺跡について分かりやすく丁寧に解説していただいた。
JR柳本を出発後、長岳寺を訪ねた。長岳寺は釜口山と号し宗派は真言宗、本尊は阿弥陀如来である。開基は天長元(824)年に淳和天皇の勅願により弘法大師が創建したとされている。長岳寺には太子堂・楼門・石造笠塔婆等の建築物、阿弥陀如来・観世音菩薩像・弥勒大石棺佛等の仏像、狩野山楽筆の大地獄絵等の図画類の文化財が多数残されている。特に大地獄絵は秋だけの御開帳であり、普段はレプリカが掲示されている。住職の法話は大地獄絵についてのものであるが、現代の状況も取り入れた軽妙洒脱のものであり心にしみるものであった。法話の後で本堂より外を見ると紅葉が盛りできれいに色づいていた。
その後天理トライアルセンターで昼食をとり、次の目的地の柿本人麻呂の万葉歌碑に向かった。「衾道を引手の山に妹を起きて山路を行けば生けりともなし」の歌の説明、「衾」の説明があった。
次に中山大塚古墳であるが、周囲の西殿塚・東殿塚古墳などの大型古墳とともに大和(おおやまと)古墳群を構成し、長さ132m、後円部の径は73m、高さは15m、前方部の幅は68mの規模である。副葬品は盗掘により消失細片化しておりすべて原位置を保っていなかったが、鏡片、鏃、槍、刀、剣等の武器類、土器土師器の細片・埴輪等が出土した。
次に燈籠山古墳を経て、衾田陵についた。衾田陵は西殿塚古墳とも呼ばれ、手白髪皇女(たしからのひめみこ)の陵墓である。衾田陵は長さ229m、前方部巾130m、後円部径は141m、後円部高さ29mの大規模古墳である。出土物は特殊埴輪があり、古式古墳の様相を持っている。
手白髪皇女は仁賢天皇の皇女で武烈天皇の妹にあたり、継体天皇の皇后である。継体天皇は応神天皇五世の孫といわれ、武烈天皇没後、この天皇に後継ぎがいないことにより、近江より迎えられたといわれている。一説には、武烈の死後朝廷の乱れに乗じて応神天皇の子孫と称し、約20年の対立抗争ののち権力を握り大和に入り皇位を継承するとともに、従来の勢力の皇女である手白髪皇女を皇后として地位を確立したものとする。
最後の大和神社に行く途中西山塚古墳(前方後方墳)、下池山古墳(前方後方墳)の説明があった。特に西山塚古墳は西殿塚古墳が手白髪皇女の陵とするには年代が古く、この古墳が手白髪皇女の真の陵墓ではという説の紹介があった。
大和(おおやまと)神社では、祭神は倭大国魂神・八千矛神・御年神の三座であるが異説もあること。当初は天照大神もまつられていたが、崇神天皇のときに国津神である三座を天津神である天照大神と分離し、市磯邑の長尾市にまつらせたのが起源であるといわれている。現在では昭和20年に沖縄沖で沈没した戦艦大和の2,717人の英霊が末社の祖霊社に合祀されている。
この後JR長柄駅で解散したが、天候が不順で雨の心配をしたが、最後まで持ったのはありがたかった。複数の晴男がいたのかも。ちなみに私は雨男である。距離は5.4kmであった。
(副支部長 秦純一)

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