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関西大学学歌がカラオケにリストアップ!

 これまでカラオケのリストに、他大学の学歌はあるのに関西大学の学歌は入っていない、と寂しい想いをされた校友の方もおられたことと思います。
 この度、関係者の働きかけでようやく10月3日から関西大学学歌がリストアップされますので、ご案内いたします。
 それは、業務用カラオケ事業や音楽ソフト事業等を幅広く手がけている、「第一興商・DAM」(だいいちこうしょう)のカラオケです。
 カラオケは、アクセス件数が大いに関係してきます。件数が少なければ、リストから除外されるのをご理解いただき、この度の学歌のアクセス件数が多ければ、次は「学生歌」や「逍遥歌」もリストに載せてもらえるような希望が膨らみます。
 校友の皆様には、各支部総会、ゼミやクラブ・サークル等の同窓会で、また友人との語らいの場で、関西大学学歌のカラオケを選曲していただき、関西大学同窓の絆を益々強め、大いに盛り上がっていただきたいと思います。


【関西大学学歌】
 「自然の秀麗 人の親和・・・」で始まる学歌は、大正11年9月、関西大学が大学令による大学に昇格した後に制定されました。校歌はすでにありましたが、時の総理事山岡順太郎が提唱する「学の実化」をうけて、新時代の学歌が待望されていました。早稲田、明治両大学の校歌とともに"校歌3名曲"との誉れが高い本学学歌は、本学教授服部嘉香が作詞し、服部の知人で作曲界の異才山田耕筰が作曲しました。その後、山田耕筰は、歌唱上の制約から第3節の「自由の訓練 自治の発揮」を「自由の尊重 自治の訓練」と、第2節の「学の実化」をじつげと歌うように指導しました。それ以来、今日に至るまでその歌詞で歌われています。


服部嘉香教授 本学学歌の作詞者

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明治19年(1886)4月4日東京に生れる。
幼名浜二郎。松山中学を経て早稲田大学に入学、明治41年、文学部英文科を卒業。同期生に北原白秋、三木露風、若山牧水がいた。詩壇への登場は明治38年頃からである。大正2年、母校で英語と商業文、文学概論等を講じた。宮島綱男(のち本学理事長)との親交はこの頃にあった。
 大正6年、わけあって早大を退職。 翌年英字紙大阪勤務のため来阪。 すでに関西大学の専務理事を務めていた宮島の紹介で、 大正10年、関西大学講師(のち教授)となり、在職中は、英語、国語、 心理学、商業実践等を担当、その豊かな学殖を駆使して活躍、学歌の制定などにも貢献し、 大正14年に本学を退職。のち東京に帰住、早稲田大学に復帰し、昭和31年、定年退職まで文学部教授を勤めた。 昭和50年(1975)5月10日没した。89歳。詩集『幻影の花びら』『バレーへの招宴』などがあり、 歌集に『夜鹿集』など。

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