2011年5月アーカイブ

社会安全学部長・社会安全研究科長 河田惠昭


 関西大学の社会安全学部は、当大学の120周年記念事業の中核プロジェクトとして、昨年4月から発足しました。お陰さまで、皆さまのご支援をいただき、トップレベルの教員の下で、昨年は280名、今年度は288名の優秀な新入生を迎えることができました。そして、突然3月11日に東日本大震災が発生し、以来、社会安全学部の教員は被災地支援に全力を尽くしている毎日です。テレビや新聞などのメディアを通して、関西大学社会安全学部の教員が災害対応に協力している様子が届いていることと存じます。本小文では、この震災の位置づけと、今後の課題を紹介したいと思います。
 まず、最初は「想定外」という言葉に対する怒りです。確かに、地震の起こり方は従来のプレートテクトニクス理論では説明できないものでした。この理論によれば、プレートの潜り込んだ分だけ、地震時にスリップして動くというものでした。実際には、2倍以上もスリップして、地震マグニチュード9.0の巨大地震になりました。わが国の地震学者は、直後にこの地震の発生過程を想定外であると「サラッ」と言いました。3万人も犠牲者が出ていながら、まるで責任は自分たちにないという立場です。このプレートテクトニクス理論はアメリカ合衆国で誕生したもので、決してわが国にオリジナリティはありません。東京大学地震研究所がわが国の地震学を先導し、莫大な予算を使い、挙句の果てにこの言葉が発せられたことに、大変な怒りを覚えます。
 つぎに、東京電力福島第一原子力発電所の災害です。これは、地震と津波、そして原子力災害という一連の複合災害として位置づけられるものです。東京電力は、当初から、大津波が来襲したために、原子力発電所の災害が発生したことを強調しました。これは、明らかに情報操作が行われた結果でしたが、メディアはそのことに一切気がつきませんでした。メディアに登場する原子力学者は、災害の実態をよく理解できぬままに、一般的な解説の域を出ず、結果的にはチェルノブイリ原子力発電所と同じレベル7の炉心溶融という最悪の事態を迎えてしまいました。
 これだけ被害が拡大した原因は2つあります。それは、津波の浸水によって全電源がダウンしても自律的にDCバッテリーによって8時間は対応できるシステム(原子炉隔離冷却系)が作動したということです。これによって、燃料棒が格納されたわけです。この8時間という貴重な時間において、現場の操作員は補助電源確保が最重要・緊急課題であることを忘れ、災害対応に忙殺された結果、大惨事を招いてしまいました。2つは、震度6強の強震動によって、水素ガス漏れ、タンク損傷による放射性冷却水の漏出、そして排水ピットの損傷などが発生しました。決して、大津波がこれらを引き起こしたわけではありません。それをすべて津波のせいにすることによって、53基のわが国の原子力発電所に対する耐震性の不安を、津波を原因とすることによって、矮小化しようとしました。
 このような背景のもとで、東日本大震災の被害は拡大し、現在に至りました。もちろん現政権の対応のまずさも指摘できますが、歴史時代に入ってからの最大の地震災害であることから、混乱が起こるのはむしろ当然であります。批判することで、決して新しい展開が期待できないことを私たちは知らなければなりません。現行の災害対策基本法は、今から丁度50年前に施行されました。1959年の伊勢湾台風がきっかけとなって法的な整備が行われました。この法律は、国も私たち個人も貧しい時代にできたために、その立法精神は「二度と同じ被害を繰り返さない」というものでした。これは言い換えれば、被害が発生しない限り、防災・減災のための投資は行わないということです。そして、どのような災害であれ、都道府県知事が中心となって災害対応を行うというものでした。
 今回の大震災では、この法律が施行されて以来、初めて緊急対策本部が政府に開設され、菅首相が本部長に就任しました。しかし、霞が関の国会議員には災害の実態が理解できませんでした。彼らが政務官となって現地対策本部のトップに位置し、政治主導の災害対応を行うという試みは当然失敗しました。彼らは政府の代表として、確たる権限も財源ももたず、現地に派遣されたわけですから、当然の帰結です。従来の官僚主導が良いわけではありませんが、官僚主導から政治主導への移行期に起こった災害ですから、とりあえず旧に復するのがよいに決まっています。それを敢えて政治主導を強行したために、結果的に災害現場における意思決定が遅れることを招き、物流などは大混乱しました。
 大震災から約50日経過した現在、最大の課題は、福島第一原子力発電所の対策の有効性の推移が読めないことです。とくに、今後心配されている余震が地震マグニチュード8クラスである場合、現在の復旧シナリオが机上の空論になってしまいかねないことでしょう。岩手県や宮城県の被災地の復興は、間違いなく、住民の合意形成の下で、一つの方向に進んでいくと考えられます。しかし、福島県の被災地の復興は、福島第一原子力発電所の被害が、今後どのように展開するかが大きな鍵を握っています。
 このような状況下で、大震災の影響が全国に、そして世界中に拡大する様相を見せています。昨年は、中国のレア・メタルの輸出規制が世界経済に大きく影響しました。しかし、今回の大震災によって高質の産業部品が世界に供給できなくなり、それを用いた工業製品の製造が困難になっています。これは先進国だけでなく、途上国にも影響を与えています。すでに、原子力発電の推進そのものに対する反対だけでなく、近代文明の野放図な発展に対する疑念も深まる一方です。
 必要な社会的需要があれば供給を拡大する、という電力供給の発想が初めて「そのようなエネルギー拡大路線でよいのか」という疑問形で問われるようになりました。リニア新幹線のように、45分で東京と名古屋間が短時間で結ばれるのが本当に私たちの社会にとって良いことなのかということが問われ始めました。もちろん答えはそう簡単には見つからないかもしれません。しかし、このまま技術先導型の近代文明の暴走を止めなければ、私たちの生活が、それは文化と置き換えることができますが、壊れてしまうという恐怖を感じずにはおれなくなりました。それを考える機会をこの大震災が与えてくれました。

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