関西大学校友会
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関西大学校友会 〒564-8680 吹田市山手町3-3-35 TEL06-6368-0045〜8 FAX06-6380-8476
校友会のあゆみ
 校友会は、 法人の設置する高等学校以上の学校の全卒業生 (平成13年入学生から全員を学生会員) で組織し、 会員相互の交誼を厚くし、母校の発展に寄与することを目的とする大学の外郭団体であり、 特に卒業生の住所管理は、 大学当局より委託を受けています。 その卒業生数は29万3千名を超え、 全国各地に123の地域支部があり、 職域、 同期、 その他の会も140を数え、 本部を関西大学会館内においています。母校関西大学は創立120年の永い歴史をもち、 法・文・経済・商・社会・総合情報・工の7学部と外国語教育研究機構、 及び8研究科の博士課程の大学院をもつ総合大学として、 わが国における有数の私学ですが、 その辿った道程は決して坦々たるものではありません。幾多先人の苦心の経営によるものであり、 校友会は母校と形影相伴って発展して今日に至っています。




明治期〜
第1回卒業生
 大学の前身、 関西法律学校が明治22年に第1回卒業生17名を送り出して以来、 年ごとに卒業生を加え、 同窓相集うの機運が高まって、明治30年12月19日に大阪市北区菅原町“相生楼”で恩師の諸先生を迎えて第1回の総会をかね大懇親会を開催しました。これがそもそも校友会の誕生であり、 時に約10年間の卒業生総数は208名で、 大阪市北区河内町の興正寺の本堂、庫裡を借りての夜間授業であった本学の草創期のことです。


大正期〜
初の校友名簿
  その後数次の学制の改革があり、 また独立した校舎の移転拡充があって、 校運も伸展し、 卒業生数も著増して大正4年にはじめて校友名簿ができました。 時に卒業生数1,545名でした。 この名簿は在学生名簿と合冊し、 学友会の手で発行したものであり、この形式による名簿は、 昭和3年まで続き、 単独で校友名簿が刊行されるようになったのは昭和4年からです。

千里山学舎
 大正9年には千里山に校地を求めて、 従来の夜間専門部のほかに、 昼間学部を設置、 同11年には大学令による大学に昇格し、名実ともに大学としての地位を確保し、 現在の関西大学に飛躍発展する転機をなしたもので、 同14年に法学部、 商学部合せて55名の第1回卒業生を送り出しました。

  大学では、 大正11年の昇格を機に、“千里山学報”(のち関西大学学報と改題) を創刊して、 大学のPR活動が活発になるに及んで、校友会活動も促進され、 従来の大阪支部のほか、 東京、 岡山、 福岡などの支部が相ついで結成され、 昭和5年発行の校友名簿には東海、神戸、 明石、 姫路、 愛媛、 など10支部が記録されるに至りました。
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昭和初期〜
校友の大同団結
 その後、 学部の卒業生数が増加すると、 新しく千里山学士会が結成されたため、 従来の校友会と対立する形となりました。そのうちに大同団結の機運が熟し、 昭和13年2月14日の校友総会で、 従来の12条からなる簡単な会則を根本的に改正しました。これが現行会則の原形をなすものです。 そして同年11月20日全国校友に呼びかけて、 初の大々的校友総会を大阪中之島の中央公会堂で開催しました。集るもの1,000名に達する空前の大盛会で、これを契機として、 校友会活動はとみに活発となり、 まさにこの総会こそが、今日の校友会発展の原点ということができましょう。

海外でも支部結成
 以後の数年間に支部の結成は、 国内はもとより海外でも10以上となり、 支部組織は40を数えました。 また、 各界の第1人者を招聘して月例の講演会を開催するとともに、 尾道、 金沢などの地方で時局大講演会を開催して大学のPRにつとめました。また一方戦時下文科系大学の存続が危ぶまれるに至って、 校友会では理工科系大学設置の運動を起こし、 ついに工業専門学校開校の推進力になるなど、校友会活動は活発なものがありました。

10年ぶりの名簿発行
10年ぶりの名簿発行 第2次世界大戦による痛手は甚大なものがあり、 多くの校友同窓を失い、 戦災戦禍による職場、 住所の変動、 敗戦の混乱は想像も及ばない状態でした。

  母校大学ではいち早く昭和22年6月校友課を新設して、 同窓校友の消息をつとめて博捜し、 昭和17年版を最後とした校友名簿も昭和28年に10年ぶりで発行しました。
また前年の26年には、 大学の組織を財団法人から学校法人に切りかえ、 法人の評議員の過半数は校友から選出することになりました。 校友が大学経営に参画することが制度的に決ったわけで、 これは校友会にとって特筆すべき事柄です。

機関紙 『関大』 の発刊
機関誌『関大』の発行 昭和27年はじめて公選選挙によって選ばれた法人役員陣は、 革新の気に溢れ、 創立70周年を目前にして学園拡充整備計画を発表し、校友は挙ってこれに協賛して募金に応じ、 昭和30年5月には、 校友会機関紙・新聞 『関大』 を創刊し、母校と校友並びに校友相互を結ぶ連絡機関として、 また母校のPR機関として重要な役割りを果たし、終戦から10年を経て校友会再建活動が活発に進められ、 組織の整備に伴って昭和32年に校友会事務局を設置しました。ここに至って校友会の自主的体制がようやく整い、 従来の大学依存から脱皮したのであって、 校友会としては実質的には一大変革でした。

組織の拡充
 新発足した校友会は組織づくりに専念し、 従来大阪市内並びに府下には支部組織8でしたが、 大阪市内22の各区に、また府下の衛星都市ごとに支部を結成した結果、 新たに38支部が設立され、 全国各地の支部を合せて98の地域支部となりました。職域会や同期会もぞくぞくと結成されて、 校友会組織がいちじるしく拡大したのはこの期であり、 学術講演会、 文芸講演会、また地方講演会をしばしば開催したのもこの期でした。

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昭和中期〜
校友評議員の推薦
 昭和38年、 法人の寄附行為の改正で、 評議員の選任は選挙制を廃して選考制となり、 校友評議員候補者は、校友会から推薦することになりました。 即ち大学の経営に参画する評議員の過半数を占める校友評議員の推薦権が校友会に託されたわけで、校友会の大学に対する責任は重大であるといわなければなりません。

母校創立80周年
 昭和40年母校創立80周年を記念して、 千里山大学外苑に建設された関西大学会館は、 校友からの募金も含めて完成したものであり、 昭和41年度には学園緑化植樹募金により、 会館北側一帯に桜並びにいちょうを植樹しました。

校友名簿の発刊
  昭和42年度には法人の事務機構改革で、 大学の校友名簿業務の委託を受け、 43年度には、 B5版1,435頁、 10万5千余名を収載した校友名簿を校友会の手で初めて刊行しました。 以来、 年毎に増大する卒業生を加えて4年毎の発行を続け、 平成9年2月には初めて改姓者名簿を加えたB5 版2,672頁、 23万7千名を収載した 「平成8年版校友名簿」 を発行しました。

  なお、 全校友収載の校友名簿については、 21世紀初頭に当る2001年が母校創立満115年となるため、創立115周年を記念して平成13年秋に 「平成13年版校友名簿」 を刊行し、 以後は5年目毎の刊行に変更することとなりました。 また、平成13年版校友名簿は、 長らく続いてきた50音順配列を改め、26万9千名の全校友を学校・学部学科別に配列し、姓名の50音順の索引・改姓者名簿も収載し、 A5版2分冊 (総頁数3,440頁) の大冊を平成13年9月に刊行しました。

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昭和後期〜
母校創立90周年
母校創立90周年  昭和50年の母校創立90周年記念には、11月1日、 大阪中之島のフェスティバルホールで盛大な「記念の夕」を開催。 また母校学園の拡充整備の90周年募金には全面的に協賛して成果を挙げました。
続いて昭和56年には、 創立95周年を記念して、母校キャンパスで校友総会を開催し、 校友相互の交流を深めました。


母校創立100周年

  母校創立100周年を記念しての記念事業のための募金に関しては、 校友の総意を結集するため、 いち早く組織基盤の確立と取り組むとともに、 昭和58年来、 母校との緊密な連携をはかり、 一貫した協力体制をとり、 積極的に募金活動を展開しました。

 昭和61年度は母校創立100周年という意義ある年に当り、 母校創立100周年記念事業募金の促進を主におき、活発な運動を展開する一方、4月の第1日曜日には100周年を記念して「スプリングフェスティバル」 を開催。 続いて5月には100周年協賛支部対抗親睦ゴルフ大会の開催、7月には全校友に対し100周年記念式典・記念校友総会への参加の予備調査の呼びかけとともに募金の推進を行う等の諸事業を経て式典に備えました。

  全校友待望の母校創立100周年記念式典は、 記念校友総会と併せて11月2日に大阪城ホールで開催。1万3千名の式典参加者のうち、 国内外より家族も含め校友は実に9千余名にのぼり、 世紀の祭典に相応しく厳粛・荘重に式典を迎え、 記念校友総会では100周年の祝賀を主体にした行事・アトラクションを組み、 盛大に佳節を祝福しました。
母校創立100周年

スプリングフェスティバル、支部対抗親睦ゴルフ大会


100周年記念事業募金
母校創立100周年記念事業募金活動は、 昭和63年9月末日をもって募金期間を終了しました。期間終了にともなう法人発行の寄付者芳名禄 (最終版) によると、 募金総額は募金目標額をはるかに上回る42億7千万円に達しました。 「母校創立100周年」の節目を譛える記念事業募金並びに記念校友総会が、 全国各地で活躍する校友のほとばしる母校愛によって、予期以上の実績を収めることができたことは同慶に堪えないところであり、 この機会に他方面から賜った温かいご理解に対し、 深甚の謝意を表します。

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平成〜現在
第二世紀を力強く
平成に入り、 校友会では“組織活動の推進”と“財政基盤の確立と整備”を柱に基本計画を樹て、 組織の活性化並びに財政基盤確立策の一環として、平成2年9月より 「関西大学校友カード」 の導入に踏み切り、 また平成6年6月より 「特別協力金」 を要請しました。

  しかし、 卒業生の自然増、 公共料金の値上げ等が起因して長期展望に立った校友会財政は危機に瀕しており、財政健全化の第一弾として平成10年度より 「機関紙『関大』の年6回発行・発送」 及び他事業についても 「参加者の受益者負担を原則とする」など、 本会結成以来とも言うべき基本方針の変更に踏み切りました。

  更に、 平成12年度には21世紀に向けて新たな視点で活動する校友会として飛躍的発展を図るため、 会則・会費制度を改正して、本会の事業の中に 「学生に対する学術振興及びスポーツ・文化振興を支援する事業」 を加えると共に、 学生会員制度を新設。また昭和33年から実施してきた終身会費制度を、 基本会費と更新会費制度に改めました。

  これによって校友会は、 長年の懸案であった財政基盤の確立に一つの目安がつけられ、 その目的達成に向けて更に力強く歩みを始めました。

  早速、 学生に対する学術・スポーツ・文化振興支援では、 「学生振興支援基金規程」 を制定し、 (1)学生表彰制度の創設、(2)給付育英奨学金制度の創設、 (3)学生の支援諸施策の充実を制度化し、 幅広い学生への支援と取り組んでいます。
課外活動団体の表彰

給付育英奨学金を授与


母校創立120周年
 創立120周年記念事業募金については、平成14年度から「母校発展のためには120周年記念事業の成功が不可欠」との認識から、積極的にその一翼を担って募金を進めていくことを決定。本部募金推進委員会の設置や、校友会独自の「募金活動規約」の制定、本部役員・募金推進委員など個人と組織の募金目標額の目安の設定などを行いました。また、全国募金推進委員長会議を開催して、組織での取り組みを討議、さらに、校友会独自の募金推進スローガン「関大の未来を拓こうあなたの募金で!」も決定するなど、校友の関心を高めるとともに、機関紙『関大』や組織の総会を通じて、機会ある毎に校友の協力を呼びかけました。

校友会としての記念事業については、「天満天神繁昌亭」「平成の通り抜け」への寄付事業のほか、7月25日の天神祭・船渡御に奉拝船「関大丸」を就航、両舷を「祝関西大学創立120周年」の電飾看板で飾り、約200人が乗りこんで船上から多くの人に母校創立120周年をPR、校友総会・記念式典に華を添えました。そして関西大学創立120周年記念校友総会は、10月15日に母校千里山キャンパス・中央体育館で開催。校友の桂三枝氏の記念講演をはじめ様々な企画を組み、約5千人の参加校友とともに盛大に母校の120周年を慶祝しました。大学の創立120周年記念式典は、11月4日に第2学舎4号館BIGホール100で簡素かつ厳粛に挙行されました。

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